ちょっと遡り過ぎですが早速、小学生くらいのところから書いてみたいと思います。
小学生の頃は剣道とか習字を習っている普通の子だったと思います。
剣道も大して強くならなかったし、字を書くのもさほど上手じゃなかったです。
覚えていることがあるとすれば、小学校の頃は友達の服を虫眼鏡で焼いてあなを開けちゃって怒られたことがあります。
かなり怒られました。
この頃は怒られた記憶ばっかです。
ボコボコにされてました。
私の実家は古い昔ながらの家なので蔵があるんですが、その中に閉じ込められたりしていましたね。
閉じ込められたとき3つ下の弟が助けてくれたりしてました。
中学時代はちゃんと勉強して真面目だったなって自分でも思いますね。
授業で寝た覚えもないですし女の子にもそこそこもててました。
今までの人生で一番もてたのは中学生の頃かもしれません。
でも中学生の頃ってカッコばっかつけて素直にありがとうと言えなかったのをよく覚えています。
部活は剣道をしていましたが、これが嫌でいつも逃げ回っていました。
何か理由をつけて練習に行かないことがしょっちゅうありました。
ちょっと変わっていると言えば、この頃からすでに人とつるまなかったですね。
一匹狼というか、普通に友達と会話はしてましたけど、集団のか中にいることはほとんどなかったです。
中学校を卒業して工業高等専門学校に入りました。
私には姉がいますが、姉がいつも開放的な学校生活を送っていたのを見てて同じ学校を受験したというものすごく単純な理由でした。
大して勉強はしていませんでしたが、試験だけはかろうじて受けていました。
2回目の試験からビリかその次を常に争ってました。
毎日パチンコしたり、麻雀したり、ただ遊んでいましたね。
留学生もいる学校だったので、私が行っていた高専には寮がありました。
それで週末は先輩の部屋なんてラブホテル状態になっていたのをよく”聞いていましたね”。
聞こえてくる音を。
なんとなく通っていたある時、高専の勉強は自分にとって必要ないと勝手に決めてしまったんです。
なので、一切勉強しなくなりました。
高専って欠点60点なので、勉強しないと本当に留年してしまうんです。それはもう簡単に。
私の場合は1年生と3年生で留年してそのまま自主退学の道を選択させられました。(全部で5年間通いました。)
ですから最終学歴は高卒になります。
大学のセンター試験がなんなのかも知りません。
高専時代に何か残ったものがあったかと聞かれれば、好き勝手に過ごすことで人生について何が大事か考える時間が持てた、ということでしょうか。
高い学費払って学ぶことって案外こんなことなのかもしれません。
学校をクビになったあの日のことは今でも覚えてます。
同じ部活の同級生(学年は相手が先輩になっていた)と「試験も終わったのでご飯でも食べに行こう。」と3回の部屋で話していた時、窓の外をふと見ると私の担任の先生が寮の勝手口に向かって歩いてくるのが見えました。
担任先生を確認していた時からなんかイヤーな予感はしていたんですが、案の定先生は寮内でまっすぐ私を探し始めました。
先生に言われたことは今でも衝撃的な一言でした。
「数学の最終的な成績が3点だったので進級することができなくなった。」
でした。
「100点満点の3点てどういうことよ!。」
「欠点は60点からでしょ。せめて40点とかそれくらいもくれないのかよ。」と。
3点なんて一科目でも取ったらそれだけで留年する特別なルールがあったんです。
担任の先生ってのび太くんが大きくなったような感じの外見で、四角四面のことを言う先生だったんですが、そんなこと淡々と言われただ唖然としたのを覚えています。
「要するにクビなんですね。」って思いました。
3年生は2回目だったのでルール上進級しないとクビになることになってたんです。
高校をクビになるとか暴走族とかでない限り最近聞いたこともありませんよね。
人生について深く考える2回目が自動的に訪れてしまったんです。
その後の進路について結構悩んで出した答えが、自衛隊だったんです。
選んだ理由は、なんとなく漠然と「いろんな経験ができていいかなー。」と思っていたような気がします。
高専をクビになって自衛隊を選んだわけですが、このころは人生についてよく考えたこともあって、手を抜かないってことを覚えていました。
自衛隊に入ると最初にいろんな試験があるんですが、走る試験で頑張りすぎて帯状疱疹(大人の水ぼうそう)で即入院したぐらいですし。
その甲斐あってか自衛隊の教育は福岡の飯塚と、北海道の千歳で受けたんですが、両方1番取れたんですね。
これも今考えると良かったのか悪かったのかどうなんでしょう。
それは本気でやれば報われるっていうことがわかったのはいいことですが、1番にこだわる人間になっちゃってなんか面白さがなくなってしまったなって大人になって思いました。
自分のことなんてわかっているようでわかっていないものですよね。
自衛隊ではそのあと、北海道と千葉県に合わせて4年間いました。
北海道の頃の思い出といえば、マイナス30度を体験できたことがまず一つですね。
私は九州の生まれでそんなの経験したことがなかったので、マイナス30度は完全に異世界でした。
雪の量も半端な量ではなかったですし。
演習はとにかく寒かった。
北海道で2年くらい過ごした頃に、なんとなく疑問を感じるようになりました。
人間関係ていうか漠然となんか違うなぁ。と。
それで選んだのがこれです。
映像ではなかなか伝わりにくいと思いますが、実際やるとそれはもう・・・
例えば飛んでいる飛行機から飛び降りる時、飛行機のドアが突然ドアが開くんです。
その時の景色がすごいのなんのって。
特に最初景色見た時は「ここから飛ぶの?バカでしょ?」ってちょっとパニックになりました。
なんとか飛ばずに地面に降りる方法はないかなって本気で考えました。
これは実際一番最初の時に思ったんですけど、足をハンマーで叩いて、砕けた足を先生に見せれば「仕方ない。もういい」って言われるかなとか本気で考えました。
面白おかしくしようとして言っているのではなく、あまりにも衝撃的だったので今でも覚えてたんです。
ほぼ安全な飛行機の中からもしかしたら死んでしまうかもしれない景色の中にジャンプしていくんですから、「これは頭おかしいでしょ。もう本当とんでもないところに来たな。」って思ってました。
この飛行機から飛ぶ!ってことでひとつ印象的なことがあるんですが、飛行機の中って耳栓をしないと耳がおかしくなるくらいうるさいんですね、その飛行機の中から外に飛び出したとき東京タワーのてっぺんくらいの空の中で突然無音の世界になるんですけど、これがもうなんとも言えない感じでした。
それから冷静にやってるつもりでも以外と興奮しているみたいで、飛行機から飛んだ時は真冬でも汗ビッショリになってました。
この部隊は日本最強とか言われてますが、死ぬほど苦しいと思ったことはもありませんでしたね。
僕の体力が凄いとか自慢ではなく、そんなに言うほどってことです。
ただ思うのは、日本が戦争に加担する国になって、戦争なんてつまらないことで自衛官が死ぬ時代が来ないようにとは心から思います。
こんな感じの自衛隊生活は今となってはいい思い出になってます。
たくさん学ばせてもらった自衛隊も4年で辞めることになります。
何をしたかというと、自転車で日本を旅行しました。
自衛隊の2年目頃から密かに決めていたことだったんです。
すでに26歳くらいにはなってたので若者とは言えない年齢だったんですが、ほんとよくやりますよね。
どうしても日本を見て回りたい!やらずに死ねない!ここで決断しなかったらもうできないかもしれないって思ってました。
なので突っ走りましたね。
辞めてすぐに出発しました。
まず、千葉県からマグロで有名な大間まで約1ヶ月かけて北上して、北海道も1周しました。
この間「100名山」と呼ばれる山を辿りながら旅してました。
この旅行は1年弱くらいやって実家に戻ったんですが、この旅行でちょっとした気づきがあったんですね。
日本を自分の力で旅行してきたから他の人よりも何かできると勘違いしてたんです。
たかがそれくらいのことで。
でも現実的なことを考えると、経験は全く生かすことができず結構悩みました。「お金を稼ぐってどうやるの?」と。
自分にはそれが全くわからなくなって奈落の底に落ちた感がありました。
それでこのとき「謙虚」ということを学んだんですね。
調子に乗っていたけれど、この人間社会で生きていくためのすべを僕は何も知らないって。
だから何か一つのことに打ち込んで少しづつ上に行こうと思えたんですね。
そういう意味ではこの旅行で得たものは大きかったなって思ってます。
「謙虚」って言葉はすぐに忘れがちになりますけどね。
進路に悩んだ末に小さな自転車店で働くことにしたんですが、ここは1年くらいでやめてしまいます。
あまりに長くなるのでそこは省略しますね。
大した理由ではありません、将来性があまりにもなかったということです。
それで自転車店にいた頃に悩んで出した結果が次の仕事が警察官でした。
自転車旅行の後、自分の生まれた場所のために仕事がしたいって思うようになってましたし、ちょっとした甘えもありましたし。
というのはこのとき自分で何かを始めようかとも悩んだんです。
でも自分に何かを始める知恵が全くなかった。
なので、「安定」の2文字に甘えたんです。
警察官になったのが2009年だったと思います。
警察官になってこれは天職だと思って働いてました。
また最初の教育でも1番取れましたし。
真剣にやるっていうのは身についていたのかもしれません。
何の違和感もなく僕は定年退職までこの仕事を続けるんだと思っていました。
この頃2回目目の結婚をしました。
1度目は自衛官時代ですね。
2回目も1年ほどで離婚したんですけど。
この理由が警察官を辞める理由にもなるんです・・・
その理由を詳しく書くことは避けますが、簡単に言うとこの世の中の本当のことをたくさん知ったんですね。
不都合な真実と言いますか。
「同じ人間なのにふざけるな。馬鹿にしてんのか。」
と言いたくなることだったんですけど、そのまま警察も辞めてしまいました。
辞めるまでは簡単でしたが、例のごとくそのあとが大変でした。
具体的にこうしようと考えていたことが次々にダメになり、行き詰まり何をすればいいのかがわからない。
たくさんの誘惑にも出会いました。
警察官を辞めてから収入はなくなっていましたので、自然とお金の心配をするようになります。
世の中に流通するお金の90パーセント以上を持っているのは、私が警察官を辞める原因を作った人たちです。
人が人のことを虫けらのように支配するのもお金に対する歪んだ欲が原因です。
この欲が原因であることに気づいた私は、自分が「お金を得たい。」と思う気持ちを恨めしく思うようになっていました。
「カネをたくさん稼いでいる奴なんてどうせ金の亡者だろ。」と。
それでもお金がやがてそこをつく恐怖は消えません。
1日1日過ぎていく度に口座の残高は減っていきます。
それである時お金と真剣に向き合ってみようと思いました。
「なぜ生まれてきたのだろう?」まで遡り「なぜ仕事をしなければならないのか。」
「そもそもお金ってなんなのか。」と考えてみたんです。
その結果を自分なりに出したので記事にしてみました。
長々と語らせていただきましたが、大して面白くもない私の過去に付き合っていただいて本当にありがとうございました。
私の書いたことが少しでもあなたの参考になれば嬉しいです。
質問など頂けましたら記事にすることもあるかもしれません。
最後まで読んでいただいてどうもありがとうございました。
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